風信 08


若し疑わしく覚え候はゞ、
その所業終り候処を爾等眼を開いて看よ…


from 2006 note

出会いの数だけ世界がある
その何倍もの路が世界に通じている

受け入れがたい現実が存在するとき
交差する路をもたないパラレルワールドとして世界は再構成されてきた

そこでは、いくつ世界があろうと
Aの世界にはAしか存在しない
Bの世界にはBしか存在しない
どこまでいっても平行なんだ
AとBの世界の交差から
Cの世界が形成されることなど無いんだ
AとBの世界のあいだを
風が吹き抜けることもないんだ

そこでは、たとえどの世界が破壊されようと
自分自身の断片はどこにでも存在するわけだ
手垢にまみれた悲しい自己防衛機能…

でもそれは自分ではない
個々の現実をいくら積み重ねても
それはひとつの世界にはならない
通じる道が無いから…
交差し合う路という心臓機能が停止してるから…

もう自分の王国をいくつも創ることはない
ごちゃ混ぜだけどひとつの世界でいい

どんな道を通ってもいい
どんな道ができてもいい
地面を感じれるところが自分の道だから
そう、地面を感じれるところならば
その「在る」ところがすべて僕の世界

吹き抜ける風がそれぞれの想いを運んでくれるんだ


想いが深まるほど孤独が深まる
孤独が深まるほど想いが深まる

想いが無いとき孤独は無い
独居があるだけ

想いが無いとき他者は無い
他者という概念があるだけ
他者という存在の重さは無い

想いがあるなら
孤独が深くなっても
そこは氷で凍てついた世界ではない
他者と他者のあいだに介在するプラーナのようなもの
暖かさのある生命の息のようなものが感じられる

針やお灸でからだが内側から
じんわりとほのかに温まっていく感じ
直接的な熱伝導とはちがった暖かさ…

化学反応式からはみだす世界
論理からはみ出す世界
セルフイメージが解体される

でもいいんだ
僕のポケットには想いという磁石が
ちゃんと入っている
振り向いたとき「いとおしさ」という道が続いていれば
どこで倒れても文句はないよ


サハラ砂漠で

真っ青な空が赤い大地の地平線に張りついている
何億年か前に海の底だった大地を歩いている

オアシスの周辺に張り付いたカスバ
赤茶けたアースカラーを基調にした中間色パステルの世界
クレーの水彩画を見てるみたいだ

360度四方、赤茶けた瓦礫の世界
微かな緑は苔状、荊状、海草状のサボテンばかり
妙にこころ穏やか
僕の精神風土にマッチしている

寝転んでみる
雲ひとつない真っ青な空が降りてくる
真っ青な空が身体のなかに入ってくる

涸れ果てた井戸の行列が山から続いている
何層にも朽ち果てたカスバ
建設途中で放棄された家屋
みんなもとの土に戻ってゆく

砂がそよ風のように流れていく
漣がそよいでいる砂漠は海
波のまにまに世界が流動する
絶海の孤島のような遊牧民のテント
「いのち」がむきだしで在る・・・

身包み剥がされていくみたい
この心地よさはいったい何なのだろう
やっと自分の心象風景のなかに佇むことができたみたい

 

 

どの変で自分自身と折り合いをつければいいのか・・・
羅針盤の針が安定しない未知の海を手漕ぎのボートで漂流しているようなものだもんね
まさに「旅」はその象徴ですね
もともと常民的な生活時間・空間以外の非日常性はハレ的な異質な空間。
危険とも紙一重的な何でもあり状況で、その陰陽ごちゃ混ぜになっていて
何が起こっても不思議じゃない時間空間のなかで人は活性化する。
日常性のなかで沈殿していくもの、逸脱していくものを
非日常性のなかで消費して日常性にまた復帰していく循環構造。

ちょっと視点を変えて日常性からスライドすれば
みんな胸を弾ませてる好奇心旺盛な少年少女。
この多重な世界・構造は素敵だと思う。
その世界では老いも若いもないでしょう…


いくらコトバを溜め込んでも
コトバを積み上げていっても
その総和は「現実」にはならない
その総和は「いのち」にはならない

コトバで「いのち」を掴もうとしてきた…
コトバで「想い」を掴もうととしてきた…

大切に感じるだけでいいのかもしれない
掴もうとするから指の隙間から零れ落ちるんだ

コトバは悲しいほど不自由だ
コトバは悲しいほど傷つける

そんな時は砂漠に行こう
そこは瞬間的に【コトバ】を無化してくれる圧倒的な【場】だ

なんにもない赤茶けた瓦礫と砂の世界が
コトバにならないもの
目には見えないものを教えてくれる
佇むしかないことを…

 

next   |   before