風信 14



木の芽草の芽あるきつづける  (山頭火)

from 2007 note

暑中見舞いもうしあげます

あんなに大柄なのに
あんなに密集してるのに
ひまわりの花はちっとも暑苦しく感じない

ちから尽きるまで、いつも真正面から
太陽に向き合っているからだろう

炎天下、自転車を漕いだ
木陰で少し休むと噴出す汗が気化熱を奪い
心地よいやさしい涼しさを感じる
物理の応用もここぐらいまでで
良かったんじゃないかと思う

近代って、自然をも、したがって人間をも
対立概念としか捉えてこなかった
人間の文化の集大成だよ、まったくもう・・・
対立からは敵対・疎外しか生まれないのに・・・

 


発作的に秩父まで行って川にとびこんでしまいました
流れに身を任せて自分の身体で川くだり
川面から周囲を眺める視線が新鮮…
樹木のあいだを生き物みたいに浮遊する木漏れ陽…
空のスクリーンを移りゆく雲…
トンボが流木だと思って頭に止まったり…
ささやかだけど川面を流れる風のささやき…
遊んだあとの「けだるさ」が心地いい


目の前を飛んでいた蝉の動線が
直角に折れて地上に落下した

しばらくのあいだ、ばたばたして
その短い一生が終わった

そんなに悪くなかったよな!
いろんな出会いも悪くなかったよな!
と思えたのだろうか?
良かった!と言えないまでも…

夕方、駅のホームと線路のあいだには
もう、そこになにも存在した痕跡さえなかった
蟻んこたちが運んでくれたのだろう

樹木のあいだを生き物みたいに
浮遊する木漏れ陽・・・
空のスクリーンを流ていく雲
川面を流れる風…
そうして水に運んでもらえたらいいな…
海の底まで…


生物なんだから
身体なんだから
無意識なんだから
観念なんだから

階段を上がったり下がったり
なんと重層的な生を生きている

ふと気がつくと逸脱している
原因はわかってるんだ…

その逸脱が、かろうじて生を支えている
原因はわかってるんだ…

あるがままの水面には過剰がいっぱい写っているんだ

ろうそくみたいなものなんだろう
想えばおもうほど自身をすり減らしてゆく
でもその分、自分の暗闇を照らし出すことができるんだ

灯がともれば、それでいい
たとえ灯がともせなくても、それでいい
そういう在りようしかできないんだから…
そう、ひとつ外すとひとつ崩壊しちゃう軸がある…


暮れゆく空を見ていると
いろんな形の雲が竜、牛、鯨・・・
いろんなものを連想させながら
ゆったりと変化し流れて消滅・生成されていく

いいな
これでいいんだよね
つくづく思った

息づかいは、ゆったりしてる?
からだは、のびのびしてる?
声は、ちゃんとでてる?

そんなら文句ないよね


うまく自分を構成できないとき
立ち尽くすしかないとき
いつも思い出す言葉

神よ お与えください
変えられないものを受け入れる心の静けさを
変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

(アメリカのアルコール依存症者自主治療協会の祈り)


むかし、漢方のお医者が
うつむき仕事ばかりしている患者に
『凧を揚げなさい』って処方したそうです
『凧を揚げなさい』いい処方ですね。

空をみあげること
道端にしゃがんでみること
大きな樹のそばにたたずんでみること
あちこち道草をくうこと
夜空には月と星があること

目の前の直線コースばかり見てて
忘れていたみたい

この間バタバタしていて
ちょっと窒息気味だった自分に気がつきました

「明日は明日の風」が粒子となって
僕の身体を透り抜けた感じ・・・



「昨日今日明日」
なんで「昨日」から始まるんだろう
最初から過去が意識の時間性のなかに繰り込まれてるんだね

今日が終わらないと明日はこない
今日が終わらないと昨日にはならない

今日を生ききらないと明日を生きれない
今日を生ききらないと昨日の轍はない

今を、自分を生きないと今日を生きれない

「昨日今日明日」
もう「昨日」に食いちぎられた「今日」はいらないだろう
「今」は今日からしか始まらない


この間ずっと自分の身体とだけ向き合っていたような気がする
腰痛という地雷をふまないように
日々の状態を見ながら
その緊張と折り合いをどうつけるかという
今日一日今日一日のその日暮し・・・

痛みの感覚と腰だけが自己主張していて
他の器官は口出しする余裕もなく沈黙・泣き寝入り
怪我をして水も飲まずひたすらうずくまっている猫のよう
生命体のベーシックな姿に回帰した

個性は脳にあるのではなく
身体性のなかにある様な気がする
その個人の身体的な感受性が脳のマザーボードを作ってる
生の身体がどう感じてきたか
生の身体がどんな信号をあげてきたか
そんな身体的な実感にちゃんと付き合うようにしていくしかない
意識はしばしば身体の敵になるから
注意が必要 ・・・

けっきょくヒトは自然性を脇道に封じ込めながら
脳のなかで生きるようになった生物なのかも・・・

タンポポはお日様いっぱいに受けて元気そのもの
あっちこっちに白い小宇宙がいっぱいある
綿帽子がさらなる宇宙をもとめて飛び出す
踊り疲れた踊子草は
また長い眠りに就こうとしている
鈴蘭の可憐な白い鈴がすがすがしい
どんな音色が出るんだろう・・・

やっと春の陽気で
腰痛という氷が溶けはじめた・・・

 

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