風信 11



涸れきつた川を渡る (山頭火)

from 2006 note

ドストエフスキーを訪ねる旅

ドストエフスキー追体験思い入れ旅行として、6・30~7・5までモスクワ&ペテルブルグにいってきた。気の合った仲間3人だけのツアーだったので、わがままなコース変更ができて、期待以上のツアーができ、想いはかないました。

往き先々で真っ先に迎えてくれたのは風に舞うポプラの綿帽子…白夜、ドストエフスキー、エルミタージュ美術館、…モロッコで古代・中世、ロシアで近代の入り口まで追体験したた感じ…ロシアはヨーロッパじゃなくてやっぱり「ルーシ」だと思う

タシケント…いつも思うけど飛行機から見る山脈、山脈は地球の背骨だね

モスクワ…夜11時なのに明るい、それでも通訳によるとペテルブルグの白夜はこんなものではないという。ホテルについたけど、チェックインで待たされる、これがロシア的事情?空港で両替をするのを忘れて円もドルも使えず…とほほ…ビールで乾杯もできない、情けない最初の夜。

融通の利かないホテルのフロントや売店、サービスという概念が、思想が無いんだろうか、ソビエト崩壊後、約10年だったかな…官僚制は制度の問題じゃないということを再確認。

お釣りが無いといって30ルーブルの飲料水が売ってもらえなかった、隣のレジのオバサンは知らん顔、ちなみに別の店では問題なく売ってくれた、中国では目の前にあるのに在庫がないといいはって売ってくれなかったという友達の話を聴いたけど、もうすごいというしかないね。日本で役所に行くようなもんだね、当たり外れのある賭けだ。

モスクワ市内…曇り時々雨のぐずついた天気 なんと気温10度。
ロシアの鳩は2トーンカラーで嘴もストレートに近い、残念ながら鳴声は聞けなかった

収容所群島を支えたKGB本部 いまだにあるんだよね、そのまま街中に、なんで破壊されなかったんだろう?僕ならまっさきに打ち壊しに行くけどな…

赤の広場 見てびっくり、あんな狭いところを戦車や大陸弾道弾を載せた移動車が本当にパレードしたのかな?向かいの建物は、なんと国内外のブランド品を集めたしゃれた感じの超高級デパート、ソビエト崩壊後の社会的象徴かも。

グルジア料理 あっ、ロシア料理ってあっさりしているんだ、日本人向きかも。寒い国だから脂ぎった煮込み料理が主体だと思っていたけど、うれしい外れ籤。

トルストイ…やっぱり金持ち貴族のヒューマニスト、管理人のオバサンはファンらしくエンドレスに話してくれた、いわゆる開明的なインテリとして溌剌に自転車で街なか・郊外でサイクリングしたり、広大な庭を散策してたりする姿が目に浮かんだ、そんな金持ちの坊ちゃんにも時代の波は押し寄せたんだね、でも貴族性までは解体することはできなかったみたい。ドストエフスキーのドロドロさと比べたら、まぁ健康的かも(つまんないという意味をふくめて)…やっぱりドストエフスキーの不健康な健全さの方がすき。

ドストエフスキー…すごい場所に生まれたもんだね、浮浪者の死体を放り込んでた場所に建てた病院の中で生まれたんだ。インテリの医者の子供としてその病院の中で。病院の中の教会で洗礼を受けて、幼年期を送ったんだ
人の恨みを買って殺された親父の死、ドストエフスキーの原因不明の喀血死を想定すると最初から重いもの、深いものを背負わされてた感じがする。
あまり人も来ないらしく鍵のかかっていたドストエフスキー記念館…
はるばる遠くからの来客に管理者のおばさんが感激して、いろいろ写真を撮ったり、ドストエフスキーゆかりのものを近くで見たり、感じたりできた。
ドストエフスキ-、彼の存在そのものがロシアの現実の煮込み料理みたい。彼の小説は彼の生活、ロシアの情況そのものだった。明治時代もそうだけど、時代が個人のなかに否応なく入り込んでくる地殻変動期だったんだね。この場所に来てここはロシアだ、ロシアに来たんだという実感がはじめてわいた。

ペテルブルグ行き寝台列車
めちゃめちゃ官僚的な女車掌…共産党時代の官僚たちはあんなんだろうな
レーニンは言っていたよね、公務員は一般労働者より偉くなっちゃいけないと…
でも、車窓から見るロシアの田舎の風景、風情は最高だった
惜しむらくはあと1時間早く起きてたら、無人の森林群がみれたのに…残念

ペテルブルグ…どこへ行ってもホテルのフロントの女性は官僚的、何かの拍子にその中の一人が始めて笑顔を見せた、へぇ~、笑えるんだ、この人たちも!しかしこの国は通訳なしでは旅行するのが困難な気がする、通じなければ英語でしゃべってみようという気さえないらしい、ロシアを一方的にしゃべるだけ、まるで大阪弁ばかりしゃべる大阪人みたい…

エルミタージュ美術館…原動力はヨーロッパへのコンプレックス以外の何物でもない気がした。強迫観念に近い妄執的な収集だよね、いくら美を文化を蓄積してもヨーロッパにはならないのに…神にたいする信者のエンドレスな捧げもの。そしていま、ロシアは世界の建築家の注目の的だという…ギリシャ・ローマ時代の100%物まねのヨーロッパ的建築物が市内のあちこちにある、すざましいコピー文化、日本と同じ遅れてきた近代国家。
それでも、世界中から財と権力に物を言わせてエンドレスに集め回った美術品はやはりそれ自身の力を持っているし、問いかけてくるものがある、その奥行きとキャパの力に引っ張られて、ついつい時間と体力を忘れて対話したり、その主張を無理やり聞かされたりしてしまう。本物と対面的に対峙すること、これはもう戦いだ…精神肉体ともに疲労感を覚えるけど、それでも一抹の心地よさが残る。

ピョートル大帝時代・明治時代、前近代を抱え込んだままの強制的な近代化の階段を駆け上る、後ろの階段が追いかけるように足元から崩壊してきてるのにも気づかず…インテリたちのコンプレックス、罪悪感、日本とロシア、メンタルな構造は密通するものがあると思った。1970年代の僕たちだって、まったく同じだ、その呪縛から自由ではなかったし、メンタルな構造は密通していた。地獄への道は善意で敷き詰められている…ドストエフスキーの亡霊はまだ現代をさまよわなければならないだろう。

変な天気、モスクワよりペテルブルグのほうが暑い 24度
休日とあって多くの人が、小陰のある芝生や森の中で水着姿になって日光浴、なぜか女の人ひとりの日光浴が多い、群れない国民性があるのかな?

食事は朝食以外、通訳の人のお薦めの街中の普通のレストランで、こだわりのロシア料理。
ピロシキ…なんとノンフライ、パン(パイ)野中に野菜や肉など何かを詰めたもの
ボルシチ…煮込み料理ではない赤カブの野菜スープ(冷やしたボルシチがおいしかった)
どこの国に行っても市場は生活者の活気があって面白い。いろんな種類のヨーグルトがあってどれもおいしかったな、蜂蜜も蜂の巣ごと切り取って売ってたりして、どれも美味しかったな

ピョートル大帝 夏の宮殿…ギリシャ・ローマ・ヨーロッパのごちゃ混ぜ建築庭園様式、鹿鳴館的な感じ。このエンドレスのコンプレックスパワーのすざましさ。
面白ロシア的建築事情…革命前からのがっしりした建物と石畳の街並み、人類が滅んでも建物と石畳だけは、そのまま何事もなかったかのように残っているような気がした。遺跡の現在進行形…。
がっしりした建物もよく見ると、地震が来ると多分全壊するのじゃないかと思えるくらい老朽化してきている。そのなかで頑丈なのががスターリン時代に立てられた党幹部用の建築物で、一番人気があるという、もちろん一番ガタがきてるのがソビエト時代の人民用各種建物…新しくとも、オリンピックなどでにわかに建てられたホテルなど、まして…

白夜…夜の11時でも日が落ちず、おばあさんが子犬を連れて散歩している
夜中の2時ぐらいにやっと薄暗くなって、4時ぐらいにはもう明け方的になっている。白夜という表現はロマンティックすぎるよ、昼がずーと長くなって夜がそのぶん短いだけなのに

ドストエフスキーの住んでた家、ドストエフスキー通り
表通りから門を抜けて建物の裏・内側に入ると1900年代初期の空間がオーバーラップしてもおかしくない雰囲気。ラスコーリニコフやソーニャ・のんだくれマルメラードフがたたずんでいてもおかしくない空間だ。ドストエフスキー自身・その家系も「罪と罰」を地で往っていたらしく、観念的な創作としてではなく、日常性として「罪と罰」を生きていたみたいだ。
やっぱりドストエフスキーは近代と前近代の狭間でロシア的な現実をその背中に背負い込んじゃう位置に立っていたんだと思った。ドストエフスキーのその深さがが再評価・再構成されるようにならないと人間の近代的な悲劇はずっと続いていくのじゃないかと思える

いまだにドストエフスキーの言葉がこころに響いてくるのは、ドストエフスキーをしてもロシアの大地に、ナロードのなかに着地しようともがいていた情況、日本では漱石が近代に着地しようとしてもがいていた情況と、今現在の情況がほとんど変わっていないってことだよね。

思想の流行は時代によって変わるけど、自分の思想の根拠を「ナロード」という生活者のなかに、生活のなかに求めていったドストエフスキーの戦いは、いまの僕たちにとってもまだ現代進行形だとを痛感したことが今回のロシアの収穫かな。

すぐにモデルにでもなれそうな若い娘と熊みたいな男たち…
そんな若い娘が丸々太ったロシア的おばさんになるのは魔法使いの仕業としか思えない、まるで別人種みたいだ。でも、そんなおばさんたちが、「ルーシ」というロシアのイメージを、生活を支えてきたんだろう。ロシアの一般の道行く人たち、バスを待つ人たち、みんな飾り気のない素朴な労働者たちという感じがした。

こんな人たちの上にソビエトや官僚制という強固な観念の構造物が君臨していたんだね。この逆立ちは制度の問題じゃなく人間の観念性の問題だから、まず観念の呪縛というところから解体しなければ、いつまでたっても自由な言葉も、自由な自分も取りもどせない…言葉を、観念を持ってしまったどうしようもなくて制度を作ってしまった人間の悲しい性だろう

行きも帰りもウズベキスタン航空
いろんな情報を調べようにもホームページもない航空会社ってここだけじゃないのかな?タシケント・日本間の便は飛行機も新しく、機内の感じも乗務員も初々しさみたいなものを感じた。でも帰りの便なんか30人も乗客がいなかった様子、おかげで3人掛けのベットをいくつも持つことができ、気分よくあちこちで寝ることができました。でもこれって営業的にはヤバイんじゃないの?大丈夫かいな?モスクワ、ペテルブルグとタシケント間の便はどれも満員だったけど…

街中のレーニン?

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